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晴乃皐の心赴くままに綴る言葉達
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blog start 20060817



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 休暇に入る少し前、灯は周りの煩わしさから逃げる様に無気力になった事があった。

 やらなければならない事はたくさんあるのだが、手足は重く鉛の様に感じられ、口を開く事すらも億劫になっていた。

 過ぎ行く事柄の何一つ灯の心を動かす事は無く、ただ呆然とそれらを見送る事しか出来なかった。いや、したくなかったのだ。

 母はそんな灯を見て、しっかりしてくれと叱咤した。

 弟はまるで灯を嘲笑うかの如く自分の真当さを誇示した。

 しかし灯にはそんな周囲の態度すらどうでもよくなっていたのだ。

 そして時折無気力の底から沸き上がる様な絶望感が灯を襲った。

 眠りに付く前に、「このまま目覚めなければいいのに」と何度となく思った。

 そんな折にかかってきた叔父からの電話。

 何の事はないその電話で、灯は一気に救われた気分になった。事実救われたのだ。

 灯は休暇中叔父の家に滞在したい旨を告げ、叔父も快く了解した。

 


 そして、叔父の家から程近いこの森を、灯はひとり歩いているのだ。

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 灯は父の事をあまりよく覚えていない。

 物心付いた頃にはもう既に父はほとんど家に寄り付かなくなっていた。

 覚えている父の姿は、部屋の中でひとり不機嫌そうに座り込んだ背中と、灯と弟を連れて出かけると帰りには必ず弟が泣きじゃくり、弱り果てて無口になる顔だけだった。

 


 灯は海辺の街にひとりきりで住む叔父に、父親の面影を求めていたのかもしれない。

 何かにすがる事など許されなかった灯にとって、この叔父は何かにつけ相談事を持ちかける事のできる唯一の存在だった。

 母の弟である叔父は、三十代半ば近くなった今も独身で通している。

 親戚筋からの縁談にも首を縦に振らず、実家からも離れたこの街で家を借り、暮らしていた。

 一人身のせいか、年若く見える人で、そんなところも灯にとって気安くなる要素のひとつとなっていた。

 何故叔父が未だ一人身で、この街に暮らすのか、その理由を問うた事は無かったが、灯にとって、叔父がこの街でひとりでいてくれる事が、息苦しい家族と暮らす毎日の逃げ道となっていたのは確かなので、それを荒立てるような事はしたくないというのが灯の本心だった。

 だから叔父に理由を問うような事はしないのだ。



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 灯の家は母親と弟の三人暮らしで、父はとうに家を出ていた。

 その理由を、灯は母に尋ねた事がある。

 母は悲しそうに笑うと答えなかった。

 母に言わせると灯の弟は父によく似ているらしい。

「一緒に暮らした事はほとんど無いのに、どうしてここまで似るものかしらね」

 灯は母がよくそう洩らしていたのを覚えている。

 灯は弟の事が嫌いだった。

 幼い頃はよく一緒に遊んだりもしたが、歳を経る毎に弟の横暴さ、我儘が鼻に付き、しばし同じ家で暮らす事に限界を感じつつあった。

 弟は兄である灯に対し、兄らしい庇護を要求する。

 何かにつけて兄を頼るようなそぶりを見せる。

 しかし灯の言い分に耳を傾ける事は無く、父のいない家庭での兄の立場として、何か意見でもしようものなら癇癪を起こし、周りに当り散らす事もしばしばだった。

 母は極度の依存体質で、父が出て行った後、灯の存在に頼りっぱなしのところがあった。

 灯はそんな家族に息苦しさを感じ、この休暇にひとり叔父の家を訪ねる事を決めたのだった。

 灯には、ひとりで考え、整理する時間が必要だった。



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  雨が降っていた。

 鬱蒼と生い茂る森の中を、灯はひとり歩いていた。

 いつからここを歩いているのか、灯には思い出せなかった。

 二日前、叔父の家のある海岸沿いの街に、休暇を過ごす為にひとり訪ねて来た事は覚えている。

 しかし、一体いつから、この森の中を彷徨っているのか、頭の中にまるで霞がかかったかのように灯には思い出せなかった。

 雨は降り続いている。

 

 自分が歩き続けている事を意識してからどれ位の時が経っただろう、木々の向こうに黒い瓦屋根が見え隠れしているのに気付いた。

「こんな所に屋敷が?」

 ポツリと呟くと、その声は静まり返った森の中に不必要に響くようで、灯は思わず息をひそめた。

 木々の間をしばらく行くと、漆喰で塗り固めた高い塀に突き当たった。

 きっと先程見えた屋敷の塀なのだろう。

 見回す限り、門のような物は見当たらず、考えあぐねた結果、灯は左へ向かって歩いてみる事にした。



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